“ 「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。
こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。
「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。
この文章を書いた人はいろいろ手を動かせと言っているようです。
私の場合、与えられた課題に対していろいろと手を動かしてもろくなことはなくて、まったく違うところでいろいろと手を動かして引き出しを作っておき、課題に対しては脳みそに脂汗を書きながら一気に仕上げる、この方がうまくいきます。イメージとしては棋士の対局です。
課題途中にいろいろ書き残そうとすると、またその経過を人に見せないといけないとすると、そのための作業のようになり、どっかから引っ張ってきたような書き写しになってしまいそうで 怖いのです。
まぁ、結局言っていることは一緒なのですが、 マニエラの話です。